女になるブログ

女でよかったって思いたい。そのためのあれこれのブログ。@natsume_zakuro

徒然

とりあえず横にならないための手段として

本をむさぼり読んでいます。

 

石田衣良代々木忠上野千鶴子、ananセックス特集。

デリ、おせんべいと大福餅、おにぎり、パンケーキまで食べちゃったぜ!な感じ。

 

上野千鶴子は読んでて気が重くなりました。

というか、社会学自体があまり馴染めないのかもしれない。

 

言葉が難しい。

 

哲学用語が馴染みがないのと、

半端に詩的な言葉が入り混じって、かえってイメージが湧かなくて読むのに一苦労。

 

【父親にとって娘は『禁じられた体』だ。】

とか。

 

父親は娘に性的な欲望を抱くことを、社会規範的に禁じられているけれど、潜在的、無意識的に欲望の対象としている。

ってことを、『禁じられた体』と言っているんだって読み進めて行けばわかるけど、最初に読んだときは、???ってなった。

 

 

そんな気分を変えてくれたのは代々木忠でした。

 

体を張って泥臭くやり続けてきた人の言葉ってすごいな。

 

個人的な体験をものすごくたくさん積み重ねることで、その体験全体を貫くものが見えてくる。

それを通して、社会を見る。

そこにあるのは、物語性だと思う。

 

社会全体を見ようとする、社会学とは反対方向からのアプローチに感じる。

 

 

まだまだ、女性の性欲や性行動に抑圧的な規範が根強い中で

ananセックス特集みたいな、女性も性に積極的であるべし、快楽を得たり、それを指向して当然、な考え方。

 

ある意味、今は過渡期というか

真逆の規範が存在して、潜在的ダブルバインドとなってるのかもなぁ、なんて思いました。

特に30〜40代。 

 

だけどセックスや性に抑圧的なのも、積極的なのも、

その人の中で『そうあるべき』になってしまったら

目の前の相手を、自分自身を見ていないという意味では同じだなって思う。

 

 

人の芯からの願いは

ただ受け入れられる、受け入れるを全身、全存在で実感する、に尽きると思う。

 

少ないけれど、それに近しい体験を何度かした。

そういう時、自他の区別も、過去や現在、未来の区別もすごく曖昧になる。

 

快楽は、それのためのツールのひとつに過ぎないのではないかと思う。

快楽でぐちゃぐちゃに乱れる、解放する。

そんな普段は隠してる自分を、受け入れてもらう。

相手のそれも受け入れる。

 

 

代々木忠は、著作の中で何度も

『目を見る』ことを説いていた。

 

それを読んで、思い出したことがあった。

 

今の旦那さんの前に付き合った人とのことだ。

とにかくすごく好きだった。

眼をじーっと見てると、彼の目に映った自分を発見した。

人の眼に映った自分を見たのは、その時が初めてだった。

 

彼を見ているのか、自分を見ているのか、わからなくなってきた。

 

彼も、わたしの目に映った彼を見ていた。

 

相手の目を見るって、相手と同時に自分のことも見ているし、

人を通して自分自身に見られてもいる。

 

相手の眼に映る自分を視認できていなくとも、

例えその人が目の前にすらいなくても、

相手からの視線をイメージできるのならば、

そのことは変わらないんだ、と思った。

 

心理学で言う、投影とは

概念上だけのことではなかったんだ!と大発見をした気分だった。

 

投影が解けた時、相手のことも自分のこともありのままに感じられて、

ものすごく繋がった感じになる。安心する。

 

だから互いに目を合わせた状態で、投影なしに

ありのままに互いを見ることができた時、

代々木忠のいう、本当のオーガズムが得られるのも

なんだか納得である。